明治10年(1877年)創業の菜種油を扱う「油善」(弊社初代の大森善一郎の名を由来とします)は、この一宮で生まれ、躍動する明治の時代の中で大きく成長してまいりました。
二代目の大森喜代三郎は、大森花泉の名で詩人としても活躍いたしました。
1877
10月
前会長大森喜代三郎の先々代大森善一郎が、一宮で菜種搾油ならびに販売を始める。屋号は「油善」
時代に先んずるべく石油業に力強く進出いたしました。しかしながら、順調な発展も、戦時下の混乱により一旦中断されました。戦後復興期において、会社だけではなく、三代目の大森喜代三郎による音楽活動を中心として、地域社会の復興にも尽力いたしましたことは、弊社の誇りとするところです。
1928
家の土間を改造してガソリンスタンドを造る。名古屋・一宮間での初めてのスタンド
1940
2月
愛知県石油販売株式会社一宮北配給所として役所指定
1944
4月
石油配給株式会社一宮配給所として商工省指定
1948
9月
法人組織に改組、株式会社大森石油店(現大森石油株式会社)を設立。三代目大森喜代三郎が社長に就任
1951
5月
名古屋桜通りにアメリカ式近代化大型サービスステーションを開所
モータリゼーションの時勢に乗り、更に発展してまいりました。石油業界の中で先進的な役割を果たすだけでなく、この時代においても、音楽活動による地域社会への貢献、更には四代目の大森一人が設立した軟式野球を通じての企業文化活動をも進めてまいりました。
1962
日本で初めて導入した、アメリカ製オートマチックノズル(自動停止給油機)を全国の給油所に販売
1971
11月
日本初の地上移動式のエアー式オイルチェンジャーを開発、全国に販売
1977
1月
大森喜代三郎代表取締役が会長に、大森一人が代表取締役社長に就任
1979
一宮市より、音楽隊長としての大森喜代三郎会長に市政功労賞
1986
1月
大森石油株式会社名古屋本店を、名古屋市中区錦2丁目の豊島ビル10階に移転
日本石油(株)(現在のENEOS(株))との共同出資により、SS(サービスステーション)を運営するオーモリニッセキ(株)を設立。尾張地方を中心にSSネットワークを次々と拡げ、東海地方有数の販売会社として発展させてきました。これからも、地域の皆様に支えられながら、力強く進んで参ります。
1990
9月
オーモリニッセキ株式会社を設立。大森一人が代表取締役社長に就任
1991
9月
ゴルフショップ「アウトイン」一宮店開設
1994
10月
野球部、第49回国民体育大会(わかしゃち国体 成年2部)で全国優勝
1995
12月
オーモリウインドアンサンブルが上海市で中国上海音楽学院の正式招聘による日中文化・芸術交流演奏
1996
9月
野球部、天皇賜杯第51回全国軟式野球大会で全国優勝
1998
4月
セルフ給油店として全国第1号となった、オイル快速一宮店開所
2002
4月
大森一人代表取締役社長が藍綬褒章受賞
2003
9月
野球部、天皇賜杯第58回全国軟式野球大会で再度の全国優勝
11月
野球部、第58回国民体育大会(わかふじ国体 一般A)で全国優勝
2004
3月
本社を一宮市音羽町から一宮市丹陽町に移転
2007
6月
大森輝英がオーモリニッセキ株式会社代表取締役社長に就任
7月
大森輝英が大森石油株式会社代表取締役社長に就任
2019
7月
DD木曽川店開所
DD名岐バイパス平島店開所
2021
11月
「株式会社夢み屋」が大森石油グループの傘下に加わる
2022
9月
「株式会社EVANESS」が大森石油グループの傘下に加わる
2023
3月
「オーモリホールディングス株式会社」を設立
7月
「大森石油グループ」から「オーモリグループ」新体制へ
9月
アウトインが大森石油株式会社から株式会社EVANESSへ事業移管
大森輝英が株式会社EVANESS会長に就任
鈴木智仁が株式会社EVANESS代表取締役に就任
11月
大森石油を存続会社とし、大森石油とオーモリニッセキが統合